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東京高等裁判所 昭和45年(ネ)1918号 判決 1974年10月15日

控訴人 高英宝

右訴訟代理人弁護士 高橋信良

同 桜井和人

被控訴人 鈴木保江

右訴訟代理人弁護士 吉田士郎

同 山代積

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は、「原判決を取消す。被控訴人は控訴人に対し、原判決別紙目録記載の土地および建物につき、浦和地方法務局昭和四三年一一月一二日受付第四七四七八号の所有権移転登記の抹消登記手続をせよ。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴代理人は控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の事実上、法律上の陳述、証拠の提出、援用、認否は、次に記載するほかは、原判決事実摘示と同一であるから、ここにこれを引用する。

(控訴人の陳述)

一、高光宝が所持していたと称する控訴人名義の委任状(乙第一〇号証)なるものは、金銭の借入のみに委任事項が限定されていて、代物弁済は含まれていないばかりでなく、その受任者の名義も高光宝ではなく、その三歳の息子の高倉義紀となっているので、代理形式においても、全く真実に合致せず、この点の調査を怠った被控訴人には過失があり、表見代理の成立する余地はない。

二、被控訴人の後記民法一〇九条の表見代理の主張を争う。

控訴人は高光宝に対して、本件建物の保存登記をするための代理権を授与したことはあるが、右は自己所有物件の「保存行為」を委任したにすぎず、本件所有権移転のような「取引行為」を委任したものではない。そして、民法の表見代理の規定は、単に保存行為についての代理権が授与されたにすぎないのに、それをはるかに超えて取引行為をした場合にまで適用されるものとは解せられないから、本件のような場合には、被控訴人主張の表見代理は成立しない。

(被控訴人の陳述)

一、控訴人の右一の主張を争う。本件においては、代理人による金銭借入行為が反覆堆積され、価額的に増大した債務につき付帯的に担保決済方法に関する意思表示が代理人によってなされ、その意思を確認する本人名義の文書が提出され(乙第七号証)、かつ、右決済に必要な書類が用意されているのであって、かような状況のもとにおいては、右行為について代理もしくは表見代理が成立すると解すべきである。また、被控訴人は、高倉義紀なる名称が高光宝の通称であると信じていたのである。そして、約束手形の記名押印の体裁よりみても(乙第四号証)、高光宝が高倉義紀名義を使用していたことを看取できるから、この点に関し、被控訴人には過失はなく、控訴人の主張は理由がない。

二、被控訴人は、原審において主張した表見代理のほかに、次のとおり民法一〇九条の表見代理の主張をする。即ち、控訴人は、被控訴人に対して、高光宝に対する代理権授与の表示をしたものであるから、本件土地建物の所有権移転に関する高光宝の行為についても、その効果を帰属せらるべき責任を有する。高光宝が控訴人の実印を押捺した控訴人作成名義の委任状を所持し、これを被控訴人に呈示した事実は、まさしく授権表示の表見代理として判断されるところであり、また、控訴人は高光宝に対して、朝銀埼玉信用組合川口支店における自已の当座預金の使用を許諾し、そこで高光宝が生ぜしめた控訴人名義の手形、小切手債務の決済は、長期間にわたって営まれたのであって、この事実は、自己名義使用の許諾に関する場合として、手形、小切手債務の原因関係について、高光宝が、或は控訴人の代理人名義で、或は直接控訴人名義で取引したいずれの場合についても、授権表示もしくはこれに準ずるものと考えられる。

(証拠関係)<省略>。

理由

一、本件土地建物がもと控訴人の所有に属していたところ、浦和地方法務局昭和四三年一一月一二日受付第四七四七八号により、同年一〇月一日付売買を原因とする被控訴人名義への所有権移転登記がなされていることは、当事者間に争いがない。

二、右登記が実体上の原因を具えているか否かについて判断する。

(一)被控訴人は、まず、控訴人から代理権を授与された高光宝と被控訴人との間で金銭消費貸借契約およびこれを担保するための本件土地建物の停止条件付代物弁済契約または譲渡担保契約が成立し、右担保権の実行として本件所有権移転登記がなされたものであると主張する。しかし、控訴人が高光宝に対して、そのような代理権を与えたとの点については、この点に関する乙第一〇号証は、後に判示するとおり、真正に成立したものとは認めがたいので、右事実認定の証拠として供することはできず、他に右事実を認めるに足りる証拠はない。よって、高光宝に対する代理権の授与を前提とする被控訴人の右主張は失当である。

(二)そこで、次に被控訴人の民法一一〇条の表見代理の主張の当否について判断する。

<証拠>を総合すれば、次のような事実が認められる。

高光宝は控訴人の年下の従兄弟にあたる。昭和四二年七月頃、控訴人は高光宝の求めにより、控訴人の取引銀行である朝銀埼玉信用組合川口支店における控訴人の当座取引名義(但し、朝鮮名の高英宝名義)を使用することを高光宝に許したが、高光宝は右の高英宝名義ではなく、控訴人の日本名である高田勝弘名義で同銀行の口座を利用していた。銀行としては、控訴人が右口座を開設するにあたり、控訴人の朝鮮名が高英宝であり、日本名が高田勝弘である旨を告げられていたので、高田勝弘名義による控訴人の口座の利用も認めていた。ところで高光宝は、控訴人所有の本件建物が未登記であるのを知るや、昭和四三年八月頃、控訴人に対し、将来、金融を受けるためには、建物の保存登記もしておいた方が有利であると説得し、控訴人に代って右建物の保存登記手続をしてやろうと申し出た。控訴人は高光宝の右言を信用し、同人に対し、右登記手続を依頼し、その際、求められるままにその敷地の権利証と、高英宝と刻印のある控訴人の実印とを交付した(右登記のための代理権の授与、権利証、実印の交付の事実は、いずれも当事者間に争いがない)。高光宝は、昭和四三年一一月一二日に右依頼のとおり本件建物を控訴人名義に保存登記をしたが、さらに同日付で右建物の敷地(本件土地)とともに被控訴人名義に所有権移転登記手続をしたのであるが、それは次のような経緯による。即ち、高光宝は、昭和四三年八月一日、被控訴人の夫である梁甲鐘を通じ、被控訴人に対し、自らを控訴人高田勝弘こと高英宝の代理人の高倉義紀であると名乗り、その旨の委任者、受任者を表示し、金員の借入を委任事項とする委任状(乙第一〇号証)、および前記控訴人より入手していた土地の権利証、実印を示して、控訴人の事業資金の借入の申込をなし、同年九月下旬頃までの間に一回につき一〇万円から三〇万円までの間の金員を一〇数回にわたって借受け、その都度その見返りとして、それらに見合う額面の朝銀埼玉信用組合川口支店の前記控訴人の口座を利用した、同店を支払場所とする高田勝弘振出名義の手形、小切手を差入れていたが、これらの手形、小切手は、いずれも期日に決済されていた。ところが九月下旬頃に、高田勝弘振出名義の右手形、小切手は預金不足のため、不渡となった。そこで梁は、同年一〇月七日、高光宝より、当日現在における控訴人の被控訴人に対する債務が合計四七五万一八〇〇円となっていることを領収証の形式で確認をとり(乙第八号証)、あわせて控訴人名義の次のような念書(乙第六号証)を差入れさせて、権利を確保した。即ち、現在被控訴人に対して振出交付されている手形、小切手が今後不渡りとなった場合には、被控訴人において本件土地、建物に対する権利行使をしても控訴人は異議がないという趣旨の念書である。かくして、その後、同月一六日に至るまでの間、四回にわたり、高光宝は、梁を通じ被控訴人より、更に合計二〇〇万円余を控訴人の代理人名義で借受け、これに見合う前同様の高田勝弘振出名義の小切手四通を差入れ、同月一六日には、再び控訴人名義で、違約の節は本件土地建物の処分を委ねる旨の念書(乙第七号証)を差入れた。しかし、結局、その後の小切手は、すべて不渡りとなったため、梁は、高光宝より預かっていた控訴人の権利証、実印等を使用して、本件土地建物の所有名義を被控訴人名義に変更するに至ったものである。そして、高光宝が梁に示した前記委任状(乙第一〇号証)、梁に交付した領収証(乙第八号証)、念書(乙第六、第七号証)の各控訴人名下に押捺されている印影が控訴人の印章を押捺して作出されたものであることは当事者間に争いがないところであるが、これらの文書は、いずれも高光宝の偽造にかかるものであって、控訴人の意思に基づいて作成されたものではなく(但し、被控訴人および梁は右の各文書が真正に成立したものであると信じていた)、また、高光宝が梁に対して貸金の見返りとして差入れた手形、小切手類は、すべて控訴人の諒解なく高光宝が朝銀埼玉信用組合川口支店の控訴人の口座を利用して高田勝弘名義で振出したものである。但し、この点についても梁としては朝銀埼玉信用組合川口支店に対して、高田勝弘の信用調査をしたところ、同支店より同人名義の口座のあることの返答を得ており、控訴人自身の振出によるものと信じていた。

以上の事実を認めることができ、この認定を覆えすに足りる別段の証拠はない。

以上の事実に基づけば、高光宝は、表面的には、控訴人より公法上の行為である本件建物の保存登記の申請のための代理権しか与えられていなかったようにみえるけれども、元来右保存登記の目的は、右建物を担保にして金融を得ることにあったのであり、また、一方において、既に右代理権授与の約一年も前から、控訴人は、高光宝に対して、朝銀埼玉信用組合川口支店における自己の当座取引名義の使用を許可していたのであって、このような事実関係の下においては、右代理権の範囲をこえて行なわれた私法上の無権代理行為についても、相手方において、民法一一〇条所定の要件を具備する限り、控訴人は、その責に任ずるものと解するのが相当である。ところで本件についてこれをみれば、相手方である被控訴人の代理人梁は、高光宝が、控訴人の実印、本件土地の権利証、金銭借受のための委任状を所持し、相当の期間無事に金銭の貸付と返済とが行なわれ、かつ、再度にわたって控訴人名義で、不履行の節は、代物弁済による決済を承諾する旨の念書が差入れられている等の事情の下においては、被控訴人は、高光宝が控訴人のために借財をし、控訴人所有の土地建物をその担保として提供し、あるいは代物弁済に供することの権限を有するものと信ずるのにつき正当の理由があった、と解すべきである。

控訴人は、高光宝の所持していた委任状(乙第一〇号証)には、委任事項として金銭の借入が記載されているのみであるから、被控訴人において、本件代物弁済行為についてまでも高光宝に代理権があると信じたとすれば、過失があると主張するが、前記認定のとおり、被控訴人が高光宝の代理権の範囲につき、代物弁済にまで及ぶと信じたことについて、正当の理由を肯認した根拠は、単に委任状の存在だけではないのであり、前記判示のような状況の下においては、とうてい被控訴人に過失を問うことはできない。

控訴人は、また、前記委任状には、受任者(代理人)の氏名が高倉義紀と表示されていたことを捉え、高倉義紀は、高光宝の日本名ではなく、高光宝の三歳の息子の名前であるから、代理形式においても真実に合致しないと主張するが、前認定のとおり、高光宝は、被控訴人代理人梁に対し、終始自らを高倉義紀と称していたのであって、もともと、高光宝が自己の呼称にどのような氏名を使用しようが、その氏名をもって控訴人の代理人として自らを表示し、かつ、代理人として行動した以上、その代理行為について、その余の要件が充たされている限りは、控訴人としては、本人の立場としての責任を負わざるをえないのは当然であって、高光宝が右取引において、たまたま自己の息子の氏名を自称に使用したことによって、その代理行為が直ちに不成立になるいわれはない。よってこの点の控訴人の主張も失当である。

控訴人は、さらに、表見代理が成立するためには、基本的代理権と、越権行為とが甚だしく異なってはならないとの前提の下に、控訴人が高光宝に対して与えたのは、建物の保存登記即ち保存行為にすぎないのであるから、本件代物弁済のような取引行為については、表見代理の適用の余地はないと主張する。しかし前記認定のとおり、本件事案は単に登記申請の代理権のみを根拠として表見代理の責任を認めようというのではないばかりでなく、表見代理が成立するために、所論のような一般的な制限を加える必要性は、これを認めることができない。よって控訴人の右主張もまた理由がない。

三、以上のとおり、控訴人は高光宝の表見代理行為につき、被控訴人に対してその責を負うべきであり、従って本件各登記はいずれもその実体を具えたものであるから、右登記の抹消を求める控訴人の本訴請求は理由がなく、これを棄却した原判決は相当で本件控訴は理由がない。よって、本件控訴を棄却することとし、控訴費用の負担につき民訴法九五条、八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 浅賀栄 裁判官 小木曽競 深田源次)

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